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2020年05月04日(Mon)
【黒死病」流行後に欧州の労働者が経験したこと 食事、賃金、宗教、慈善活動はどう変わったか】
人類はこれまで、さまざまな疫病を経験してきたが、疫病に見舞われた後には何が起こったのだろうか。
黒死病と恐れられた「ペスト」に襲われ、多数の人が亡くなったあとの西欧では、実質賃金が2〜3倍に跳ね上がり、労働者が肉とビールの夕食をとるようになる一方で、地主は体面を保つのに必死だったという。
古代史を専門とし『暴力と不平等の人類史』を上梓したスタンフォード大学教授のウォルター・シャイデルは、「戦争・革命・崩壊・疫病」という4つの衝撃を中心に古代から現代までを分析している。中世ヨーロッパの労働者の生活は、疫病の感染爆発後、どのように変化したのか。今回、『暴力と不平等の人類史』から一部抜粋してお届けする。
■ペストで一変した世界
1350年にはペストは地中海沿岸に広がり、翌年には、一時的であれヨーロッパ全土を衰退させた。
経済学者のパオロ・マラニマによる最新の推定によれば、ヨーロッパの人口は1300年の9400万人から、1400年には6800万人に落ち込んだ。減少率は25%を超える。
特に落ち込みがひどかったのがイングランドとウェールズで、ペスト前に600万人近くあった人口のほぼ半分が死亡し、18世紀初めになってやっとペスト前の水準に戻ったのだ。
イタリアも落ち込みがひどく、住民の3分の1以上が死亡した。
黒死病の影響が甚大だったことは疑う余地がない。歴史家イブン・ハルドゥーンは普遍史に関する著作でこう書いている。
東西の文明は破壊的な疫病に見舞われた。この病は国家を荒廃させ、国民を死へ追いやった……人間が住んでいた世界全体が一変した。
実際、世界は一変した。感染爆発のさなかとその直後には、人間の活動が低下した。長期的には、ペストとそれがもたらした混乱が、人びとの考えや社会制度に広く爪痕を残した。
つまり、キリスト教の権威が弱まり、快楽主義と禁欲主義が同時に繁栄し、恐怖と跡継ぎがいない者の死亡が原因で、慈善活動が増えたのだ。芸術のスタイルまで影響を受けた。医者は長年守ってきた原則の再考を迫られた。
最も根本的な変化は、経済領域、なかでも労働市場で起きた。黒死病がヨーロッパに達したのは、3世紀にわたって人口が大きく──2倍、時には3倍に──増加していた時だった。西暦1000年ごろから、技術革新、農耕法と収穫高の改善、政情不安の改善があいまって、定住が進み、生産性が向上し、人口が増えた。都市は大規模化し、数も増えた。
ところが13世紀後半には、この長期にわたる繁栄は自然に終息した。中世の気候最適期が終わりを告げると、生産性が低下し、需要が供給を上回りはじめたため、飢えた人びとが増加して食料価格が上がった。耕作に適した土地の拡大は止まり、牧草地が縮小したせいで、タンパク質の供給は減った。
同時に、ますます質素になる食事において基本的な穀物がそれまで以上に主要な食品になった。人口圧力によって、労働の価値が下がり、したがって実質所得が減少した。生活水準も、せいぜいのところ横ばいだった。
14世紀初めには、気候が不安定で収穫が減った結果、壊滅的な飢饉となって、状況はいっそう悪化した。人口水準は14世紀初めの25年間で下がったものの、生活が維持できるかどうかの危機はさらに一世代のあいだ続き、動物間流行病のせいで家畜が激減した。
■労働力に対して土地が余るようになった
黒死病によって人口は激減したものの、物理的なインフラは損なわれずに残った。生産性が向上したおかげで、人口の減少ほど生産高は減らなかったため、1人当たりの平均的な産出量と所得は上昇した。
時おり主張されるように、ペストによって、本当に労働年齢にある人びとがそれより若いあるいは老いた人びとよりも多く命を落としたかどうかはわからないが、ともかく労働力に対して土地が余るようになった。
地代と金利は絶対的にも賃金比でも下がった。地主にとっては損だが、労働者は利益を望めそうだった。とはいえ、こうしたプロセスが実際の暮らしにおいてどう展開するかは、中世の労働者に有効な交渉力をもたらす制度と権力構造にかかっていた。
当時の西欧の観察者は、人びとの大量死によって賃上げ要求が高まったことにすぐに気づいた。カルメル会の修道士ジャン・ドゥ・ヴネットは、1360年ごろの年代記でペスト流行後の様子について書いている。
何でもふんだんにあるものの、価格は2倍だった。調度品や食料はもちろん、商品、賃金労働者、農業労働者、使用人などすべてがそうだ。唯一の例外は土地と家屋で、それらは現在でも供給過剰の状態にある。
■労働者は3倍の賃金でも首を縦に振らなかった
作家のウィリアム・ディーンが書いたとされるロチェスター小修道院年代記によれば、労働者不足が続いたため、庶民は雇用労働など歯牙にもかけず、3倍の賃金で貴人に仕えるという条件にもなかなか首を縦に振らなかった。
雇い主はただちに、人件費の上昇を抑制するよう当局に圧力をかけた。イングランドが黒死病に襲われてから1年も経たない1349年6月、国王は労働者勅令を発布した。追記へ

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